ビブラートについての疑問


 なににつけ自分が抱いた疑問を、自分で素朴と表現するのは、おこがましいのではないか。
「私は素朴な疑問を持つ人間だ」
 と宣言するよりも、同じ疑問について、
「私は複雑深刻な疑問を抱えている」
 と告白したほうが正直のような気がする。
 私がフクザツにできているからではない。
 むしろ単純で幼稚な人間だから、なにかしら疑問があると即、複雑深刻のように感じるのだろう。
 だからあえて素朴と形容せず、深刻だとつけくわえる必要もない。
 疑問は、形容句なしの、まるはだかが、ふさわしい。
 
 ビブラート全く無しで音程の正確な歌は実に透明な美しさがあります。

 これはほんとうだろうか。
 音や声の性質を誤解していないだろうか。
 さらに音楽を狭義なわくに閉じこめていないか。
 受容する側の耳、気分を特化していないか。
 ここでいうところの透明な美しさとはいったいなにか。

 上の文脈にかなう〈歌〉があるのかどうか。
 これは趣味の問題ではない、というのがとりあえずの私の感想だ。




2011.5.18