甲田四郎詩集『くらやみ坂』抄
『くらやみ坂』目次


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三半規管



亭主が店番していると知らない男がやってきて
オカアサンいるかいと言う
そんなに昔からのお客さんとも見えないが
母は二十六年前に死にましたと言えば
え? 奥を見て
あすこにいるじゃないか
え? あカミさんですか、カミさんはいます
そのように人がたいてい女房の方に用がある
のは問題だ
秋の日は落ち際にかっと差し
女房は日ヨケを下げる
日は右へ日ざしは左へ
女房は十五分ごとに左へ日ヨケを移して目がまわる
来た人が目まいは検査しなくちゃと言う
耳に冷水と湯を交互に入れて目まいを起こしてみる検査だよ
ハムレットの王様みたいでいやだわよ
亭主が出てきて医者へ行きなと言って
引っ込みながら左へ曲がる
左へ曲がるだけだからいいと自分は医者へ行かないで
女房には行けと言う
女の人が日ヨケを分けて
あのうハローワークはどこでしょうかと聞く
アノここを真っすぐ行ってAA銀行の脇をと言いかけたら
脇からもう一人おばさんがM病院はどこですかと言う
今この人に道を教えてるのでちょっと待ってください
あたしには教えてくんないの?
ちょっと待ってって言ってるんです
先の人に向き直って
アノA銀行のところをですねと言いかけたら